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ツイッターでまとまらないこと

メンヘラは生への圧倒的肯定を見ると謎に凹むらしい

 

映画『ゴールデンカムイ』を観ました。

 

正直慄いていました。推しが出ているので観に行きましたが、普段であれば絶対に観ないタイプの作品。もちろん作品名は存じていたのですが、その、ガチムチ男性陣の二次創作がいっぱい流れてきていたので、どちらにせよ観ようとはあまり思わないタイプの作品でした。私はめんどくさくてかわいい女性が好きなので。ガチムチ男性、あんまり興味ないので。

しかし推しが出ていた。推しが出るからには観ねばならない。食わず嫌いはよろしくない、聞きかじった情報程度で趣味に合わないだろうという偏見はよろしくない。せめて観てから何を感じるかを噛み締めるがよろし。そう思って観に行きました。

 

結論から言うと、私には正しすぎると思いました。この物語は私には正しすぎる。

元々懸念していたような、「ファンタジー(ではないが)についていけるかな…」とか「アクションで酔わないかな…」とか「メンズばかりで混乱しないかな…」とかいう点は問題なかったです。一応ちゃんとついていけたし、酔わなかったし、混乱もしませんでした。

 

ただちょっと正しすぎた。その事にかなりショックを受けたというか、そう感じた自分にびっくりして少し泣いてしまった。情緒不安定か…?

 

何と言うか、物語全体から滲み出る"生"への執着と肯定が、あまりにも眩くて正しくて、それに沿えない自分の歪さが浮き彫りになったような気分になった。そのような意図は全くないであろうところが逆に突き刺さった。

 

何もかもが正しいと感じた。アシㇼパを守りたいという気持ちも、金塊を探す理由も、父を殺されたことへの怒りも、絶対に生き延びるという心意気も。

私はそれに共感できない。そこまで他者を愛せないし、怒れないし、苦しみ痛めつけられて生きるぐらいならさっさと手放すと思うから。そんなに生に執着できない。そこまで大事なものだと思えない。

しかし、この物語の中でそれらは圧倒的な正義だった。正義じゃないと否定したいわけではない。むしろ逆だ。頭では正義だと分かっている。それが一般的に美しく、正しいものだと分かっているのに心が添えない。それがどうしようもなく寂しかった。

 

どうせ皆美しく正しいものが好きなのだ、という半ばいじけたような気持ちもあったかもしれない。愛する人のために命をかけて金塊を探せる青年が好きなのだ。父を喪って怒りを覚える勇敢な少女が好きなのだ。2人とも他者に対する愛を湛えていて、それに裏付けられた欲には濁りがない。そういうものが愛されるのだ。そういうものが正しいとされるのだ。私が持ち合わせていない、そういうものが。

 

もちろん彼等と私とでは生きている背景が違う。時代も違えば環境も違う。しかしこの映画を、ひいてはこの作品を観ている人は同じ現代に生きている人間である。この正しさを浴びて快感を味わえる人間がいることにひどく焦りを感じてしまう。別に皆が皆同じ感想を持たなきゃ!みたいなことはないと頭では分かっているのだが。

 

作品を批判したいわけでは決してない。むしろ、そう思った自分に対してもう少し考えを練る必要があると感じている。

全ての作品を肯定する必要はない。それはそう。ただ、全く楽しめなかったわけでもないのだ。それなのに寂しさや焦りや劣等感も同居している。どうにも不思議な感覚すぎる。もうちょっと時間が経てば咀嚼できるのかもしれない。

 

長々とややこしい感想文を書いてしまった。ある意味貴重な体験だったように思う。感情の引き出しは多いに越したことはないので。

 

というかものすごく続編作る気満々の終わり方でしたね。一体完結までに何年かける気なんだ。

時間が経過したらまた見え方が変わってくるかもしれないので、それはそれで楽しみにしてます。生きよう