のらりくらりくるりゆるり

ツイッターでまとまらないこと

運の良さだけで生存してる

私は私のことをそれなりに幸運な人間だと思っている。なんなら運の良さぐらいしか誇れるところがない。今の私の精神の安定は、ただただ運が良かったからと言っても過言ではない。

 

まずは頑丈な母の元に生まれたこと。かつての弱った私を前にして、取り乱すことも壊れることもなかった母。根源である私が言うのもアレだが、本当にすごいと思う。夜になる度に私から繰り出される罵詈雑言を前にして、狂わなかったのは本当にすごい。私が同じ立場だとして、同じように振る舞える自信がない。だから子供は欲しくないな、と思う。もしいたら、私が子供を壊しかねないので。

 

たまたま近所に相性のいいメンタルクリニックがあったこと。通い始めてから、もうかれこれ10年が経とうとしている。最初に訪れたところはどうにも信用ならなくて、今の病院は2軒目だ。電車が怖くて遠くまで出歩くことができないので、とにかく家から近い病院を探したのを覚えている。私の話を馬鹿にせず、平坦なテンションで聞いてくれる他人が近くにいた。幸運でしかないと思う。

 

皮膚科もそうだ。こちらは近所にはなかったけれど、前の皮膚科に見切りをつけ、転院してすぐに大学病院の紹介をしてもらえた。たまたまその時に開発されたばかりの新薬があって、たまたまそれが私の身体にぴったりと合った。それまでのあちこちが爛れて膿んだ肌が嘘のように綺麗になった。今でも自分の肌を触るたびに感動する。特に膝の裏の皮膚。昔の私のここは固くひび割れていてまるで象のそれだったのに、今は赤子のほっぺように柔らかい。嬉しい。

 

家も裕福ではないものの、それなりに余裕があった。明日のご飯に困るほど貧しいわけではなかった。家を出た今もそれなりに楽しく暮らせている。職だってほぼコネ入社のようなものだ。曲がりなりにも高校を卒業し、やっとこさ動けるようになった時期に、たまたまあそこの席が空いてるよと言われたからそこにすかさず座っただけだ。就活もまともにしていない。溢れるやる気があるわけではないが、居心地のいい職場なので無理なく続けられている。本当にありがたいと思う。

 

他にも挙げればきりがないが、全部全部ただの幸運なのだ。私が自分の力で手に入れたものなど何一つない。母も医療も職も家も、全部運だ。たまたまラッキーだっただけだ。

感謝する気持ちはもちろんある。だがしかし同時に恐れる気持ちもある。こんなに運に甘やかされていて、未来でそれに見放された時、私は本当に生きていけるだろうか?

今までが何とかなったからといって、それが永続的に続くなんてことはない。今でこそ外に働きに出ていられるが、かつての症状がカムバックしない保証はない。私に不幸がない限り、母も医者も私より先に死ぬだろう。未来に確証や約束なんてものは存在しない。

 

だから鍛えなければと思っている。今のうちに。体が言うことを聞くようになった今のうちに。今までの私はただ周りに生かされていただけだ。全てが無くなった時に生きていけるように、今のうちに鍛えておかなければならない。絶望して、また周りを加害しないように。

 

…と、頭では分かっていてもなかなか動けないのが私の嫌なところだなと思う。焦っているはずなのに、同時に実感が伴っていないのだ。実感が伴っていなくて、行動を先送りにしてしまい、それがまた焦りを増幅させる。いやな堂々巡りである。根が怠惰だなぁと常々思っている。

 

齎された運の良さを無駄にせず、何なら分け与えられたらいいのに、と思う。それができるぐらい優しくて強い人間になりたいものである。今はまだ夢のまた夢の話だけれど。