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ツイッターでまとまらないこと

雑記-仕事帰りにお金を払って叫んできた

 

9月27日 水曜日

 

朝の通勤途中、川に沿うガードレールに向かって熱心に写真を撮る老夫がいた。何かあるのかと覗き見ると、ガードレールに赤蜻蛉が止まっていた。弱っているのか微動だにせずそこに留まっている。なるほど、これは珍しいかもしれない。

スマホを使いこなしている老夫だなと思った。うちにも老人が約2名いて、それぞれにスマホを買い与えているが、未だに使いこなせていないように見える。社交的な祖父はまだお仲間との連絡などに使っているようだが、祖母は本当にからっきしである。彼らの孫である私は完全なるスマホ中毒者であるため、なぜそんなに使いたがらないのかよく分からない。せめて送ったLINEを見るぐらいはしてほしい。

 

家を出たいなと思うことが増えた。以前からずっと猛烈に逃げ出したくなったり、そうでもないなと思ったりを繰り返している。今は逃げたい期らしい。

恐らくだが、深く眠れていないのも要因のひとつとしてある。寝れないわけではないし、何なら人並み以上に寝ているはずなのに日中も眠い。新しい枕の効力が弱まってしまったのだろうか。思い当たる原因がない。

こういう時、健康な若者であれば何てことはないのだろうかと考える。夜更かしをしたりオールをしたりといったことを、とてもじゃないが我が身に置き換えられなくて眩暈がする。一体どこからそんな元気が湧いているのだろうか。私も年齢としてはそこそこに若いはずなのですが…

 

仕事帰りにカラオケに直行した。普段であれば翌日に仕事がある日にカラオケに行くのは控えるのだが、今日はどうしても歌いたかった。というより、でかい声を出したかった。

誰と行くわけでもない。俗に言うヒトカラである。私は別に歌が上手いというわけでもなくて、採点機能曰く86〜92点あたりをうろうろとしている。毎度の如く微妙な点だな、と思う。上手いわけでもなければ壊滅的な音痴というわけでもない。

ヒトカラの良いところは、誰にも気を遣わなくていいところだ。そしてずっと自分が歌えるところだ。とにかく大きな声が出したかった。鬱憤とも苛立ちとも言い難い霞のようなものをカメハメ波の如く吐き出したかった。ドラゴンボールには詳しくないが、イメージである。

1時間みっちりと歌い続けてやや爽快な気分になった。上手くなくても歌うことは楽しい。

 

帰途につき、最寄りの駅で降りるとすっかり辺りが暗くなっていた。ついそんな時間かしらと時計を見た。空を覆い尽くす雲のせいもあるだろうが、明らかにそれ以上に暗かった。月が丸く煌々と光っていた。

私が歌いすぎたわけでもなく、単に秋だから日が短くなったのだ。酷暑が落ち着き涼しくなったのはとても嬉しいが、早く暗くなるのはそうでもないなと思った。別に暗くたって遊びに出たっていいのだが、なんとなく落ち着かない気持ちになる。箱入り娘なので夜遊びに慣れていない。

 

もう少し元気になりたいものである。過去に比べれば見違えるように元気になったが、まだまだ足りないと感じる。今の身体ではまだ満足できない。浅ましくも悲しいほどに貪欲である。

 

今日は風呂上がりに薬を注射して、新しく始まるドラマを観ようと思う。もうドラマが始まる季節だろうか。小休止期間が短い。

明日は推しが掲載される雑誌の発売日だが、此処は福岡なのでどうせ時差が発生するのだろう。もどかしいが、もはや慣れっこというやつである。期待は少なくあればあるほどいい。その方が突然の幸運に喜べるから。

 

祖母がさつまいもを蒸してくれたので食べようと思う。ではね。秋の味覚だね🍠