のらりくらりくるりゆるり

ツイッターでまとまらないこと

もしも時間を遡れるのなら、両親が出会うのを阻止する

最近タイムスリップもののドラマが多いように感じる。『ブラッシュアップライフ』とか『時をかけるな、恋人たち』とか『不適切にもほどがある!』とか。ドラマは比較的視聴者の願望が反映されやすいエンタメだと思っている。皆そんなに過去をやり直したいのだろうか。

 

こういうドラマを観ている時、もし私がタイムスリップできるなら両親の出会いを阻止するな、と思う。

すごく心配されそうなので人に言ったことはない。でも、そんなに暗い思想だとも思ってない。「死にたい」とは違う。死ぬのは痛いし、苦しいし、有難いことにそこそこ周囲に愛されているので、その人たちを悲しませたいとも思わない。途中でやめたいのではなく、最初から無かったことにしたいのだ。最初から無いのなら、誰にも記憶されていない。私の意識もない。痛くもないし、苦しくもないし、誰も悲しまない。ならばそれが一番良いような気がしてならない。

しかしそんなことは現実的に不可能である。不可能なことを考えていても仕方がないので、それなりに楽しく生きられるように努めている。うっかり生を放棄したくならないように、好きなものを増やすべく行動している。

 

今日、『52ヘルツのクジラたち』という映画を観た。主人公が育児放棄された子供を拾って家に住まわせ、家族として生活を営んでいた。

 

私がやりたいことはこれだなぁと思った。不謹慎かもしれない。しかし、結構前からずっとそう思っている。新たな命を産みたいわけではなくて、もう既に産まれていて、生まれた上で苦しむ子供を少し楽にしてやりたいのだ。

しかしそれもまた夢物語なのだろうとも思う。大体がそういう子供は助けを求めることができない。運良く映画のように求められたとして、私のような技術も何もないど素人にできることなどたかが知れている。もっと他にプロフェッショナルがいる。だからこれは夢だ。あんなこといいな、できたらいいなのドラえもんレベルの話である。

 

前述したように私には結婚願望がない。率直に言って良い印象が全く無いからだ。だからこそ両親を出会わせないようにしたいとか思うわけで。

もちろんこれは現時点での私の思想だ。もしかしたら将来的に此奴の遺伝子を何が何でも奪ってやろうと思えるレベルの異性が現れ、子供を欲しいと思うこともあるのかもしれない。それは分からない。未来の自分など知る由もない。

 

どうもまとまらない文章を書いてしまった。あまりにうすらぼんやりとした願望である。産む勇気はない、でもどうせ産まれてしまったなら笑顔でいてほしい、その一助になりたい、ただそれだけの話だ。

何ができるかなと考える。今の私にはきっと何もできないように思う。やはりどちらにせよお金を貯めておくのがいいんだろうか。マネーイズパワーなので。

 

私の生によって誰かが楽になったなら、きっとそれは幸せなのだろうと思う。

そんなことがあったらいいな、とあるかわからない未来に期待している。贅沢かもしれないけれど。