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ツイッターでまとまらないこと

雑記-不可逆の穴と年齢感覚

11月27日 月曜日

 

先日、人生で初めてピアスを開けた。特段深い意味はないが、開けたかったので開けた。左右の耳たぶにひとつずつという、最もポピュラーであろう開け方をした。さすがに初手でそこ以外に開ける勇気はなかった。

一応お肌が弱い人であるため、念のため病院で開けてもらった。専用の装置で行われた施術は本当に一瞬で、痛みもさほどなかった。もう少し持続する痛みを期待していたため、若干拍子抜けだった。私は一時的な痛みをエンタメだと思っている節がある。

 

ピアスを開けた日は推し(椎名林檎さん)のお誕生日だった。別に狙っていたわけではなく、たまたま病院の予約が取れたのがその日だっただけである。でも何となくおめでたいような、記念のような気分になった。推しの誕生日がピアス開け記念日。覚えやすくて良い。

 

私自身の誕生日も着々と迫っている。隙あらば誕生日をアピる人みたいになっているが、実際のところ結構意識してしまうのである。あんまりポジティブな意識ではなく、どちらかといえばネガティブ寄りかもしれない。年を重ねることそのものが嫌なわけではない。「◯歳でこの仕上がりなのか…」という、絶望と言ったら大袈裟だが、諦めのような気持ち。きっと加齢に多くを期待しすぎているのだと思う。だから毎年理想と現実の差にやや気落ちしている。らしい。

反面、そんなもんだろうという気持ちもある。一体何を期待しているのか。年齢などただただ生きた年数にすぎない。年齢に経験が付随するわけではない。時間は誰にも平等に流れていて、何もしなければ何もしないまま時が過ぎる。それだけのこと、と。

我ながら考えても仕方のないことを考える才能に長けている気がする。長けなくていい。

 

実際のところ、本当に私はこんなに生きたのだろうか…という感覚は常にある。あまりにも何も知らないし、あまりにも何もできない。

今までの全てが幻のようだと感じる。記憶はもちろんあるが、全てが朧げである。楽しい記憶もつらい記憶も、過去になった瞬間にもやがかかっていく。詳細な感覚をどんどん忘れていく。もちろん忘れるからこそ生きていられるのだが、それにしたって忘れすぎな気がする。私が感じ取れないだけで、知らないところできちんと蓄積されているのだろうか。

 

精神年齢という言葉がある。私は一体何歳なんだろうか、といつも思う。10代からさして成長していないような気がするが、実際の10代を前にしたら何かが決定的に違うのかもしれない。

かといって実際の歳相応かと言われるとそうでもないような気がする。以前、インターネット友人略してネ友に「ひどく子供っぽいところもあればおばあさんみたいなところもある」と評されたことがある。わりと的を射ている気がする。

 

ひとしきり考えて、まあいっか、となった。さっきも言ったが、考えたところで仕方がないのである。元も子もない。

とりあえずこの耳たぶに開いた穴は現在23歳の私のものだ。22歳以前の私にはなかったものだ。

そういう意味でもよかったのかもしれない。成長というにはえらく稚拙だが、変化がついたのはいいことかもしれない。

 

しばらくは穴が膿んだり塞がったりしないようにきちんと消毒しなければならない。しっかりと、後戻りできない穴になればいい。そんなことを思った。