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ツイッターでまとまらないこと

雑記-休みボケか、もともとボケているのか

1月11日 木曜日

 

正月休みが終わってから3日が経過した。休みが終わったということは通常営業に戻ったということなので、いそいそと出勤などしている。今朝も電車の到着時間めがけてリュックを背負ってひとっ走りなどしていた。駆け込み乗車はやめましょう。

仕事、ダルい。シンプルにダルい。業務の内容こそ何とか思い出せたものの、しみじみとダルい。ダルすぎる。

たった2週間弱の休暇でここまで頭と体が鈍化するものだろうか。寝つきも悪ければ目覚めも悪いせいだろうか。ただでさえ狂っている自律神経がさらに歪んでいる気配を感じる。以前の私はもう少し俊敏に、軋轢なく仕事に対応できていた気がするのに。

いや、果たしてそうだろうか。私が俊敏に軋轢なく仕事をこなしていたことなど未だかつてあっただろうか。そんなことはないような気がしてきた。仕事はもともとダルい。その大きすぎる事実は全く変わっていないのではなかろうか。

分からなくなってきた。休みのせいでボケているのか、もともとボケているのがデフォルトなのか。1/8(休み)から1/9(出勤)の間の活動の変化が激しかっただけで、例えば12/26(休み前)と1/9(休み後)はイコールで結べてしまうのかもしれない。以前の私はしゃかりきに動けていた、などという自己認識は美化された記憶に過ぎないのかもしれない。何が言いたいのかも分からなくなってきた。

 

美化された記憶といえば、最近印象的な出来事があった。数年前に参加した成人式のことだ。

1/8は成人の日だった。各地で成人式が執り行われたのだろう、町にスーツ姿の青年の群れがいたり、SNS上でも振袖姿の女の子が見受けられた。

初々しい少年少女を眺めながら私はかつての自分を思い返していた。私も振袖を着たし、同窓会にも参加した。かつて引きこもりだった私にとってそれらは一大イベントだった。緊張したし、周りが引くほど泣いてしまうというハプニングもあるにはあったものの、楽しかった。今でも行ってよかったなと思う。

そんなことを思いながら私は自分のTwitterアカウントを検索した。当時のツイートでも見て思い出に浸ろうかと思ったのだ。初めてTwitterアカウントを開設してから約8年が経過しているため、その期間内のことであれば大体ネット上で何らかの記録が確認できてしまう。黒歴史を生産&公開しながら生きている人間あるあるだと思いたい。

結論から言うと、当時の私は落ち込んでいた。マジで記憶がなかった。楽しかったな〜の記憶しかないので、楽しかった〜とツイートしてるとばかり思っていた。実際はまあまあ落ち込んでいた。順当に思春期及び青春を謳歌した同世代の人間を目の当たりにしてそこそこダメージを受けたらしい。その思考回路そのものはまあ私らしいっちゃらしいが、意外だった。記憶がない。こわ。

 

もうひとつある。心療内科に行った時のことだ。もう10年は通っている医者にいつもどおり月1の近況報告をしていた。その時、医者に尋ねられたのだ。

「以前、後ろに人の気配がすると怖い、落ち着かないって言ってたよね?あれもう大丈夫?気にならない?」

 

……………???????????

本当に記憶がなかった。後ろに?人の?気配がすると?怖い?なにそれ?そんなこと言った?

思わず「そんなことありましたっけ…?笑」と返してしまった。医者はわっはっはと笑った。

 

私の記憶なんかよりも医者の手元にある問診票の方が正確なのは当然なので、確かに数年前の私が言ったんだろうと思うが、本当に記憶がなくてびっくりした。常にトイレが近くにないと不安だったとか、一定時間動けない環境が怖くて仕方なかったとかそういうことはまだ覚えてるけど、後ろに人がいると怖かったとか全く覚えてない。全然覚えてない。だって私ついこの前最前列で推しのライブ参加してきたんですよ?後ろに何千人か分からんけどいましたよ?怖くなんてなかったし推しが美しすぎてそれどころじゃなかったですよ?え?

 

何というか、あまりにも都合よく忘れている。

自分のことは自分が一番分かってる!とか口が裂けても言えないなと思った。だってめちゃくちゃ忘れている。実際に。そういう意味で使う言葉ではないかもしれないが。

 

ま〜〜〜じであてにならん。記憶ってまじであてにならん。あまりにも自分に都合よくトリミングされている。すっぽりと忘れている。

 

私を信用するな…私の言葉に傷つくな…こいつ忘れてるから…無責任の権化だから…うん………