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ツイッターでまとまらないこと

雑記-涼しくて嬉しい

 

9月7日 木曜日

 

出勤のために家を出た瞬間、気温がまるで違った。風が涼しい。日差しはあるが、風が涼しい。あの、つい10日ほど前まであったような、空気を構成する物質のひとつひとつに水がまとわりついているような、ねちっこい蒸し暑さが無い。ただそれだけで見違えるように快適だった。

歩いたら汗ばむけれど風が吹いたら涼しい、このぐらいの季節が一番好きだなと感じる。体がかじかむことも溶けることもない、ちょうどいい気温だと思う。あとひと月はこのぐらいの気候であってほしい。

 

涼しかったので、例の如く遠回りに散歩をして帰った。歩ける気温だ。素晴らしい。

 

駅前で夏服の女子高生たちが談笑していた。髪をひとつに括り、手にハンディファンを持ち、日向のもとで白い腕と脚を露わにしていた。何を食ったらあんなに白くなるのか。同じ人種の肌とは思えない。

 

今見ると、改めて子供だなと思う。精神年齢の成長が10代で停止しているように思えてならない私だが、それでも子供だなと思う。

私は高校卒業後に女子高生のコスプレをしていた。通信制高校だったので制服はなかったが、古着屋でそれっぽい服を組み合わせて、EASTBOYのリボンなどをつけて散歩をしたりしていた。今思えば未練があったのだろう。高校生らしいことなど何も出来なかったから。

20歳ぐらいになると自然と気が済んでやめたが、そのぐらい私の年齢感覚の境界は曖昧だった。今もそうかもしれない。一般的な子供は16歳は高校一年生、18歳は高校三年生、19になったら大学生といった具合に、年齢と肩書きを連動させながら成長していくのだと思う。が、私はそれが無かった。全く無いわけではないが、限りなく希薄だった。だから19歳で制服もどきを着ていても恥ずかしさがなかった。

 

そんな私でさえ、いま現役女子高生を見ると子供だな〜〜と思う。そう思うことに自分でも少しびっくりした。今の私はもう制服も着られないだろう。

背丈も精神性も環境もほぼほぼ成長していないように感じるが、それでも多少は大人になっているのかもしれない。

 

ふと、こんなに涼しいのなら眼科に行けばよかったな、と思う。

私のかかりつけの眼科は徒歩で向かうとそこそこの距離があり、酷暑の中ではとてもじゃないが向かう気になれない。そして用事も別に急を要しているわけではない、コンタクト利用者に推奨される3ヶ月ごとの定期検診であったため、行かねばな〜と思いつつも先延ばしにしていた。だって暑かったんだもん。

しかしこのぐらいの気候であれば長距離の徒歩もなんてことはない。暑さが思い出したように復活する前に行っておこうと思う。

 

帰宅しこのブログを書いていたところ、私の頭部とスマホの間に猫が尻を捩じ込ませてきた。猫は賢い。人間が何を注視し、自分が何をすればそれを妨害できるか誰よりもよく理解している。

要求は勿論「飯を寄越せ」である。ア・イ・シ・テ・ルではなく、メ・シ・ヨ・コ・セのサインである。非常に明瞭に要求を主張する猫でありがたい。

しかしながら、最近の猫はよく吐き戻すので一度にたくさんのご飯をあげることを躊躇ってしまう。猫には申し訳ないが、小分けにして飯をやる。

猫を飼う以上吐き戻しから逃れることはできないのだが、人の都合としてはどうしてもなるべく吐いてほしくない気持ちがある。猫的にはどうなんだろうか。傍目にはけろっとした顔をしているように見えるが、本当のところは分からない。

 

明日はもう金曜日か、と思う。光陰矢の如しというが、20代にしてそれを実感しつつある。歳を取れば取るほどさらに早くなると言うが本当だろうか。

今日は少し甘味を摂りすぎたきらいがあり、やや落ち込む。おおよそホルモンの仕業だとは思うものの、己の欲望への打たれ弱さをそのまま表しているようで、なんか嫌。

 

明日も今日ぐらい涼しいといい。雨が降らなければなお良い。日差しは暖かく、風は少し冷たいと良い。金曜日の夜、特段予定があるわけではないが、少し心が軽くなる。言葉の響きというやつである。

 

ではまたね。甘味を消化するべく筋肉をいじめるぞー💪