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ツイッターでまとまらないこと

雑記-ガキの頃って誰しも虫を虐めますよね

9月8日 金曜日

 

朝の通勤電車の中、私は吊り革を握っていた。

私が握っている吊り革と、その隣の吊り革の間に蜘蛛が巣を作っていた。警戒色と長すぎる脚を携えた強そうな蜘蛛ではなく、室内で見かけてもさして気に留めないような、かわいげのあるサイズの蜘蛛だった。生きるのが下手すぎる、と思った。そんなところに巣を作っても大した獲物は捕まらないだろう。ダニとかハエぐらいなら引っかかるかもしれないが。

電車が揺れるたびに当然吊り革も動くし、そのたびに何があったと言わんばかりに慌てていた。あなた、生きるの下手?

 

ガキの頃、庭にあった蜘蛛の巣にそこらへんの葉っぱを引っ掛けて遊んでいたことを思い出した。こちらの蜘蛛はいわゆる強そうな蜘蛛だ。私が葉っぱを引っ掛けると、その蜘蛛が速やかにそれを確認しに来て、獲物ではないと分かると巣から落とすのだ。せっかく透明な罠を仕掛けているのに、葉っぱなんぞのせいで存在を認識されては困るからだろう。その一連の動きがあまりにも鮮やかで、私は嬉々として葉っぱを引っ掛けた。蜘蛛からすればいい迷惑である。

 

先ほどの吊り革の蜘蛛からは、彼の蜘蛛のような知性を感じない。やはり体の大きさと知性は比例するのだろうか。であれば鯨こそが世界の覇者となっているはずなので、やはりそうでもないのだろうか。そんなことを考えていたら目的の駅に到着した。すごい無駄な時間を過ごした気がする。

 

退勤後、眼科に向かった。大した不調もないのに言われた通りに定期検診に行く私はわりとレアな患者なのではないかと思った。小さいころからあちらこちらの病院にかかっていたせいか、病院に行くのにあんまり躊躇がない。病院は友達。

 

道中、街路樹の下がやけに汚れている箇所があった。人為的に汚されているわけではなく、何かしらの実が落ち、それが人によって踏まれ、実が崩れてぐちゃっとしていたのだ。こんなに大量の実が落ちる街路樹って何なんだと思い、見上げるとそれはイチョウだった。つまり、見るも無惨に踏まれたこれは銀杏(ぎんなん)ということか。こんなにばかすかと落ちるものなのか。

そして道すがら眺めていると、樹下の道が汚れている、つまり実が落ちている木と落ちていない木がはっきりと分かれていることに気づいた。なるほど、雄株と雌株か。やはり街路樹を植えるにあたって、雄株と雌株を均等に配置したりしているのだろうか。さすがにそれを数えたりはしなかったが、こんなにぱっと見で植物の雌雄が分かることってあんまり無いような気がして、やや気分が良かった。

 

眼科の検診の結果も異常なしであった。そうであろうとは思っていたが一応安堵した。視覚に頼る趣味が多すぎるので、目が利かなくなると本当に困る。

検診の途中コンタクトを外した時、まじで見えねーな…と思った。10歳頃を境にどんどん視力が悪くなったのを記憶している。理由は大方遺伝だろうが、脆い臓器だなぁと思う。

 

眼科に行って帰るのにかなりの時間を要するので、今日は少し帰宅が遅くなった。とはいえ常識の範囲内だし、まだまだ帰れない人はたくさんいるだろう。これは帰りの電車の中で書いている。満員電車というほどではないが、そこそこに人がいる。

 

明日は土曜日。休日である。我ながら健康的な生活をしているな…と思う。というか皆が働きすぎなのである。そういうことにしとこう。

なーんにも予定が無いが、いつもの如く部屋の片付けをしたいし、化粧の研究もしたい。母が行きたいラーメン屋があると言っていた。それについていくのもいいな。

 

まだ8日なのにクレカの請求額がそこそこにやばみを帯びてきたので、あんまり金を使わない方向でエンジョイしたいと思う。前もこんなことを言いながらリュック買ってたような気がする。

 

ではまたね。気温の変化で体調崩しやすいと思うので、ご自愛してね。

 

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