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ツイッターでまとまらないこと

雑記-金木犀を嗅ぐとかつてのトイレを思い出す

 

10月26日 木曜日

 

今朝、嘘みたいに早く目が覚めた。この"早く"というのはあくまで私にしては、とか当社比で、といった意味合いなので世間的には大して早くない時間であるのだが、とにかく普段の40分ほど前に目が覚めた。しかも二度寝をしなかった。何か天変地異でも起こるのでは…?などとスピリチュアルな発想が脳裏を過る。

 

その後しばらくして、私は走っていた。すこぶる早起きしたのになぜ走る必要があったのか、自分でも不可解である。早起きをしたからという理由でなんだかのんびりと支度をしてしまい、結果いつもよりも数分遅れて家を出た。プラマイゼロというよりも若干マイナスの様相であった。

水筒2本とお弁当と、その他諸々のごちゃついた荷物を投げ入れたリュックは当然のことながら重みがある。それを背負って走るのはなかなかに疲れた。しかし良い気づきもあった。疲れたけれど、思っていたより余裕があるぞ…?と。

少し前の私は少し駆けっただけで盛大に息を切らしていたように思う。歩くのは好きだが走るのは別なのだ。動悸・息切れ・発汗を通り越して眩暈を起こしたりしていた。

しかし今日はそうでもなかった。もちろん心拍数は向上し、やや息切れもしていたが、目的地点に至るまで心折れることなく走ることができた。疲れはあるものの、あの絶望的な苦しさがない。ゆるゆるペースではあるものの1年以上継続しているジム通いの効果が出たのだろうか。体重グラフの推移はそこまで目覚ましくないが、一応前よりは体力がついているらしい。

思わぬところで己の成長を自覚でき、やや嬉しかった。いつも己の成長の無さに辟易としていたので尚更である。ちなみに爆走の甲斐あって電車にもちゃんと間に合いました。やったね✌️

 

金木犀が散っていた。その芳香と見目のかわいらしさから秋の花の中でも特に人気があるように見えるが、案外盛りは短いのかしら、と思う。一斉に咲いて一斉に散ってしまう。

私の中でこの花はトイレのイメージが強い。かつて我が家にそこそこの広さの庭があった頃、そこに金木犀もあった。花の季節になると祖母が枝を少し折り、花瓶に生けてトイレの小窓に飾るのだ。まあ、言ってしまえば芳香剤代わりである。

小枝といえどなかなかに強烈な香りを放つので、私は幼いながらに金木犀=トイレのイメージを確立してしまい、庭に金木犀がなくなった今も金木犀が香ると「トイレの香りだ…」と思ってしまう。我ながら風情がないなと思う。

 

もうとっくに金曜日の気分なのだが、現実は無情で明日ようやく金曜日であるらしい。毎度のことながら曜日感覚が怪しい。そもそも搭載されていないのかもしれない。

今夜は楽しみなドラマが2本もあるので嬉しい。さっさと皿を洗い、風呂を倒し、保湿をした上で挑もうと思う。ネイルも塗り直したい。もしかしてこんな長文を書いている場合ではないのでは…?しかし、ここまで書いてしまったので仕方がない。書き出す前に気づくべきだったな…

 

ではね。まず皿を倒してきます。