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ツイッターでまとまらないこと

雑記-ちょっと歩けたけどやっぱ暑かった

 

8月28日 月曜日

 

これは今日買ったアイス

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リュックに放り込んだまま歩き回ったので、やや溶けかけていたけど、それがかえって美味しかった。アイスは飲み物。

 

気温が体感32℃ぐらいだったので、歩いた。といっても1万歩未満のプチ散歩である。仕事帰りに近所をうろうろしただけなので、目新しさはまるでなかったけれど、それでも歩きたかった。私には散歩が必要なのである。

 

道路と歩道の区別のない、家と家の間としか言いようがない道で、芋虫に会った。黒くて、尻尾のような角があり、黄色と赤の点々模様がある。私はそいつに明確に見覚えがあった。小学生の時、クラスで飼っていたのだ。その時に確かにその名前を調べて一度は覚えたはずなのに、今の私はさっぱり思い出せなかった。せめて写真ぐらい撮っておけばよかった。Googleレンズに落とし込めばすぐに名前を教えてくれただろうに。

 

人は忘れるものだなあ、と思う。有益なことも無益なことも、等しく忘れる。通信制高校を卒業してから5年しか経ってないはずだが、今の私が同じテストを受けたら散々な結果になるだろう。これでも当時はそこそこ成績の良い方だったのだ。無論高校の偏差値がぬるかったおかげではあるが。

忘れていいこともある。私はあの頃の苦しみを忘れた。外に出るだけで身体に走る緊張を忘れた。今の私は一応仕事をしているし、街を歩くのをとても楽しんでいるし、何ならそれだけでは飽き足らず飛行機に乗って遠くに行こうと企てている。まるで別人のようだ。

前に母が、忘れるから生きていけるのよ、と言っていた。今更ながらその言葉に実感が伴ってきている。まあ母は母で、苛烈な離婚裁判を乗り越えていたりするらしいので言葉に別の重みがある。皆なんだかんだ色々あるものだ。

 

こうして日記もとい雑記を書いているのも、かつての私では考えられないことのような気がする。そして意外なことに続いている。まあまだ始めてから日が浅いので、羞恥心が発動する前なのかもしれない。その可能性は大いにある。

今のところ、文章を書くのは楽しい。それはきっと今の生活が凪の状態だからである。もし今後、とても悲しいことがあったとする。私はそれをそのまま文章にすることを躊躇うだろう。悲しいことは忘れたいし、言葉にしてしまうとどうしても無視できなくなる。だからかつての私に日記は書けなかった。

逆に物凄く楽しく嬉しいことがあったとしても、私はそれをそのまま文に書くことはしないだろう。誰かに話すまでもなく満足できるほど嬉しいことは、きっと独り占めしたくなる。これを知っているのは私だけだと、微かな優越感に浸りたくなる。そういう性格だから。

だからこれは凪なのだ。きっと。

凪の有難さを、私はよく知っている。しばらくはこのまま漂っていたい。この安寧を手放したくない。そんなことを思うのは贅沢だろうか。

 

そんなことを考えながら歩いて、帰宅した。帰宅した途端に汗がどっと吹き出した。やっぱり暑かったかもしれない。後悔はしてないけど、やっぱりまだ暑いかもしれない。

 

ここ一週間ほど、体重が不変である。マジで不変である。あすけんの体重グラフが紛うことなき直線を描いている。そんなことがあるだろうか。日々食べたり出したりしているはずなのに。

願わくばあと3キロほど落としたいな〜と思っている。そういえば、最近二の腕の筋肉を意識できるようになった。以前は筋肉があまりにも無さすぎて、力を入れようにも力の入れ方を認識できなかったのだ。日頃の働いてなさがよく表れている。

曲線ではなく、角を描く肩に憧れる。現状そこまでの道のりは物凄く長そうだが、筋肉の存在を見つけられたのはかなりの進歩ではなかろうか。引き続き努めようと思う。

 

明日こそは今日し損ねた定期の更新をしたい。ついいつもの習性で駅をスルーしてしまった。切符を買うこともなくなった昨今、券売機の前に立つ習慣って最早ない。明日こそは忘れないようにしたい。手の甲にマジックで書いておこうか。

 

ではまた。今夜からまたイチともがあるので嬉しみ。