のらりくらりくるりゆるり

ツイッターでまとまらないこと

雑記-自律神経暴走族師走ノ陣

 

12月1日 金曜日

 

近頃すこぶる目覚めが悪い。ついでに言うと寝つきも悪い。一体どうしてこんなに睡眠が下手になったのだろうか。少し前まではそれなりに快調に寝て起きていたはずなのだが。

やはりこの羽毛布団の快い重みと温もりがいけないのだろうか。それにしたって寝すぎである。本当に、大袈裟でなく、ありのままの起床時間をインターネットでお伝えしたら「そんな時間に起きていても社会人できるんですか?いくらなんでも寝すぎではないですか?そして職場がゆるゆるすぎませんか?そんな会社あるんですか?」とドン引きされること請け合いである。ドン引きされてしまうのでここでは伏せておく。そのぐらい寝ている。

 

もともとの私はそれなりに睡眠が得意であったはずなのである。私自身の記憶はないが、同居の母の証言によるとそうであるらしい。

ちなみにここで言う「もともと」とは10代前半の時分を指している。遡りすぎだろうとツッコミが入りそうだが、実際そこからコロッと変わってしまったので仕方がない。そこらへんの詳しい話に興味がある方は過去記事をどうぞ。

尿意が怖くて外に出れなくなった話~心因性頻尿~ - のらりくらりくるりゆるり

文体が違うな…4年前だしな…

 

当時の私は布団に入って10分後にはすややかな寝息を立てていて、朝は「娘ちゃーん朝よー」と声をかけたら即座にむくりと起き上がっていたらしい。その話を聞いた時、私は率直に信じられないな…と思いました。ええ。

翻って今ときたらどうであろうか。布団に入ってから眠るまでに最低1時間を要し、朝は目覚ましのアラームを無限に止めている。明らかに退化している。人間として、否、生物として退化している。同一人物とは思えない。

 

いつも思う。睡眠時間が削れたらいいのに、と。私個人の話ではなく人体のシステムとして。

正直まったく時間が足りない。今の私はやっと身体の自由が利くようになった。今までできなかったこと、これからやってみたいことがたくさんある。それなのに睡魔は律儀に訪れる。毎日律儀に睡眠にピー時間を奪われている。なんだか勿体無いような気がしてしまう。

いや、分かっている。睡眠が人体にとってとても重要であることは痛いほど分かっている。実際私も薬を飲み忘れて朝の4時まで目がギンギラギンだった時は死ぬかと思った。分類上は若者だけどオールとかできません。私には無理です。

だからこれは夢物語である。現実味のない、ファンタジーである。どこでもドアがあったらいいのにーレベルの話である。睡眠時間削れたらいいのにーって話なのである。

 

しかしながら、かつての私はファンタジーではない。薬を飲まなくてもスッと寝付けて、目覚ましの声にサッと呼応できる白井ちゃん推定10ちゃいはファンタジーではない。何度も言うようだが本当に信じられない。かつての私はスーパーキッズだったのではあるまいか。

 

やはり鍵を握るのは自律神経なのだろうか。よく言うではありませんか、自律神経を整えよう!と。毎日お風呂に入ろうね!とか朝起きたら日光を浴びようね!とか。そういうの、大体全部してるんですよね。毎日お風呂入ってるし、栄養バランスの良いご飯も食べてるんですよ。適度な運動もしてるんですよ。一体全体これ以上何を整えたらいいんだろうかと頭を捻らせております。一体何が原因でどこで歪んでいらっしゃるのか、私の身体は。

 

問題が目の前にそびえ立つ以上トライ&エラーを繰り返すしかないのは百も承知なのですが、め、めんどくせ〜〜!!の気持ちが拭えない。めんどくさくてかわいいのはかわいい女の子だけなのでやめてほしい。私にとって都合のいい身体であれ。

 

しかしこんなところでブー垂れていてもしょうがないのもまた事実である。今はなきスーパーキッズ白井ちゃんを呼び起こすしかない。

どこに行ってしまったんだろうな…帰っておいで……お姉さんがお菓子あげるから………

 

 

 

 

雑記-不可逆の穴と年齢感覚

11月27日 月曜日

 

先日、人生で初めてピアスを開けた。特段深い意味はないが、開けたかったので開けた。左右の耳たぶにひとつずつという、最もポピュラーであろう開け方をした。さすがに初手でそこ以外に開ける勇気はなかった。

一応お肌が弱い人であるため、念のため病院で開けてもらった。専用の装置で行われた施術は本当に一瞬で、痛みもさほどなかった。もう少し持続する痛みを期待していたため、若干拍子抜けだった。私は一時的な痛みをエンタメだと思っている節がある。

 

ピアスを開けた日は推し(椎名林檎さん)のお誕生日だった。別に狙っていたわけではなく、たまたま病院の予約が取れたのがその日だっただけである。でも何となくおめでたいような、記念のような気分になった。推しの誕生日がピアス開け記念日。覚えやすくて良い。

 

私自身の誕生日も着々と迫っている。隙あらば誕生日をアピる人みたいになっているが、実際のところ結構意識してしまうのである。あんまりポジティブな意識ではなく、どちらかといえばネガティブ寄りかもしれない。年を重ねることそのものが嫌なわけではない。「◯歳でこの仕上がりなのか…」という、絶望と言ったら大袈裟だが、諦めのような気持ち。きっと加齢に多くを期待しすぎているのだと思う。だから毎年理想と現実の差にやや気落ちしている。らしい。

反面、そんなもんだろうという気持ちもある。一体何を期待しているのか。年齢などただただ生きた年数にすぎない。年齢に経験が付随するわけではない。時間は誰にも平等に流れていて、何もしなければ何もしないまま時が過ぎる。それだけのこと、と。

我ながら考えても仕方のないことを考える才能に長けている気がする。長けなくていい。

 

実際のところ、本当に私はこんなに生きたのだろうか…という感覚は常にある。あまりにも何も知らないし、あまりにも何もできない。

今までの全てが幻のようだと感じる。記憶はもちろんあるが、全てが朧げである。楽しい記憶もつらい記憶も、過去になった瞬間にもやがかかっていく。詳細な感覚をどんどん忘れていく。もちろん忘れるからこそ生きていられるのだが、それにしたって忘れすぎな気がする。私が感じ取れないだけで、知らないところできちんと蓄積されているのだろうか。

 

精神年齢という言葉がある。私は一体何歳なんだろうか、といつも思う。10代からさして成長していないような気がするが、実際の10代を前にしたら何かが決定的に違うのかもしれない。

かといって実際の歳相応かと言われるとそうでもないような気がする。以前、インターネット友人略してネ友に「ひどく子供っぽいところもあればおばあさんみたいなところもある」と評されたことがある。わりと的を射ている気がする。

 

ひとしきり考えて、まあいっか、となった。さっきも言ったが、考えたところで仕方がないのである。元も子もない。

とりあえずこの耳たぶに開いた穴は現在23歳の私のものだ。22歳以前の私にはなかったものだ。

そういう意味でもよかったのかもしれない。成長というにはえらく稚拙だが、変化がついたのはいいことかもしれない。

 

しばらくは穴が膿んだり塞がったりしないようにきちんと消毒しなければならない。しっかりと、後戻りできない穴になればいい。そんなことを思った。

雑記-家の中で靴を履くアメリカンスタイルで冷え性に対抗

 

11月22日 水曜日

 

今日、正直それほど寒くない。11月後半ってこんなんだったかしら?と過去の記憶が疑わしくなるぐらい寒くない。それもそのはず本日の福岡の最高気温は21度で、ほとんどの人が「今日は寒くないな」と感じる気温である。北にお住まいの方であれば半袖で過ごせるかもしれない。

 

しかし足が冷たい。本当にどうしてってぐらい冷たい。寒くないのに冷たい。一体どういうことだってばよ。

胴体から頭にかけては非常にホットであり、血液の巡りを体感として察せるほどなのだが、手足だけは徹底して冷たい。血液が通っていない。いや通ってるんだけど。絶対に頭付近の空気と足付近の空気の温度違うと思う。

ひとの身体は頭寒足熱が理想的とどこかで聞いたことがある。頭が熱くて足が冷たい私の体はその概念から思いっきり反発していることになる。そんなところで天邪鬼を発揮しなくていい。

 

一応これでも怪しげなレッグウォーマーを履いたり毛糸の腹巻きパンツ的なものを履いたりしているのだが、それだけでは事足りないらしい。

ので家の中を漁りさらなる装備を探した。無駄にモノの多い我が家は探せば何かしらが出てくることに定評がある。おそらく一生ミニマリストになれないと思う。

 

そんなこんなで辿り着いたのがスニーカーである。

 

スニーカーです。別に防寒用とかではない、ただのスニーカーです。ジム通い用に買って現にジム通い用に使用しているアシックスの子供用スニーカーです。なぜ子供用なのかというと、わたくしの足のサイズである22.5cmのものが大人用では存在しなかったからです。たまたまそのお店に置いてなかっただけなのか、母体であるアシックスさんが22.5は子供の足と認識されているのかは知りません。結果的にお手頃価格で買えたので全然いいんですが。

 

結論から言おう。とても良い。すこぶる良い。

足に血の巡りを感じる。寒空の下にある鉄棒を触った時のような芯から冴え渡る冷えがない。良い。

 

私が外出してる時はそれなりに元気なのに帰宅した途端に畳とお友達になりがちなのは単に足が冷えていたせいなのかもしれない。お外にいる時はだいたいスニーカーを履いているから、人知れず足が温められていたのかもしれない。それを脱いだ瞬間に冷えに襲われて意気消沈していたのかもしれない。

 

足が温かいと体が固まらなくて動きやすい。思考停止しづらい。ついでに筋トレもしやすい。ほら、靴下オンリーの状態で踏ん張る系の筋トレって難しいじゃないですか。滑るし。靴履いてからすればええやんと思うでしょうが、その「靴を履く」という動作を前にした時点で億劫さを覚えてしまうわけですよ。怠惰だから。でも常に履いておけばすぐスクワットとかできるわけですよ。省けるステップは前もって省いておくのが怠惰マン操縦法の基本です。

 

えっ…良いことしかなくない…?

家の中で靴を履くアメリカンスタイル(※知識が貧弱なブログ主によるアメリカのイメージ)って理に適ってるんだな…

 

今のところとてもいい感じなんでしばらく続けてみようと思います。そもそもの冷え性が改善できればそれがいっちゃん良いんですけどね。

最高気温21度で既にヒイコラと対策を練っている私氏は無事に冬を越せるのでしょうか。

まあもっと寒くなったらまた家を漁ります。きっと何かが見つかることでしょう。知らんけど。

 

雑記-怒りを目の当たりにした時、どのように感情を処理すればいいのか未だに迷う

11月19日 日曜日

 

メルカリに出品していた商品が売れたので発送作業をしていた。品物を確認し、箱なり袋なりに梱包し、封をする。そしてコンビニなりポストなりに持っていくわけだが、この時いつも不安になる。私は本当に間違いなく該当の品物を入れただろうか、と。

もちろん確認はしている。これを入れた、と確かに認識したはずである。でも封をしてしまった後にそれを確認することはできないので、ほんの少し過去の自分を疑ってしまう。あなたは本当に確認をしましたか?それは真実でしたか?「したつもり」になっているだけではないですか?と。

今のところ失敗をしたことはない。それでも毎回不安になる。もう透明の箱だったらいいのではなかろうか。でもそれじゃ配達員の方に中身が丸見えになってしまうわけで、プライバシーもくそもなくなってしまう。私の不安を解消するために先方のプライバシーを公に晒すことになるのはさすがに申し訳ない。引き続き不安になりながら作業をするしかない。

 

一方で、そんなに恐れることでもないんじゃね?という声もする。もし違う品物を送ってしまったり、空箱を発送してしまうというギャグみたいなことが起こっても、そうなったらなったで先方から連絡が来るだろうし、その時は謝って再送すればいいんじゃね?と。

しかし私は想像してしまう。もし間違ったら、少なからず先方を苛立たせるだろう。優しい人なら別にいいと言ってくれるかもしれない。それでも苛立たせたことには変わりない。さらに間違った商品を送り返してもらう手間が発生したり、送り先の情報を私に教えなければならなくなったりする。そもそも送るとか送り直すとか簡単に言うが、それこそ配達員の方の手間と時間を奪っているわけで、それもまた申し訳ない。そんなことを考えて必要以上に不安になる。

ここだけ読むと他者への迷惑を慮っているように見えるかもしれない。でも、実際はそうではない。私はただ単に怒りを買うことを恐れているだけなのだ。

 

私は怒りが苦手だと思う。得意な人なんかいねーよ!とツッコミが入りそうだし、それは本当にそうなのだが、それでも苦手だと思う。

自分に対する怒りはもちろん、他者から他者に対する怒りすらも避ける傾向にある。そこに存在しているだけで逃げてしまう。自分に向かっていれば尚更である。

 

人から怒られた時、私は悲しくなる。ここまではいいと思う。次に苛ついてしまう。これが良くない。自分が蒔いた種だと自覚していても苛ついてしまう。これを本当にどうにかしたいと思っている。

多分、全ての根底に潜んでいるのは徹底した自己保身なのだ。失敗を過剰に恐れるのも、怒りを避けて通ろうとするのも、正当な怒りに対して苛つくのも。すべて「私を傷つけるな」と喚いているだけなのだ。他者への配慮に見えて、その実己がかわいいだけなのだ。

 

そういう時、私は感じた苛立ちをそのまま口に出すことはない。なるべく何でもないような風を装う。しかし内心ずっと苛立っている。これもまた性根が悪いなーと思う。多分相手がすっかりと忘れたであろう日時が経過してもずっと根に持っている。

きっと怒りに対して怒りで応戦できて、言いたいことを言い合って喧嘩できる方がよっぽど健全だと思う。その後離れるにせよ仲直りするにせよ、言いたいことを言えたという実績があるだけよほど立派だ。私は怒りの炎を小さく燻らせたまま、何も言わないまま、その人をまるごと視界からシャットダウンしてしまう。自分を守るために。

 

どう対処したらいいんだろうか。模範解答なんてあるわけがないのに最適解を探してしまう。そもそも「解」を欲する時点で相手の意思を汲み取ろうとしていないのだ。与えられたイベントにどう対処するか、いわばゲームの攻略法を考えているだけなのだ。そういうところがとても不誠実で、嫌だなと思う。

 

この話に分かりやすいオチなどは無く、ただの己の思考回路に対する愚痴だ。自己保身の繭を脱ぎ捨てるにはやはり己が成長するしかないのだろう。保身をしなくても我を見失わないように強くなるしかないのだろう。どうやって?わからない。わからないなりに意識していくしかない。

 

暗い自分語りを展開してしまったが、別にいま何か嫌なことがあったわけではない。暇のついでに思案を巡らせていただけだ。暇はよくない。オチのない話をするぐらいなら溜めているドラマを観なさい。

 

とりあえず、今日発送したお荷物が空箱でないことを祈っておきます。

 

 

雑記-今季初登場のやつら

 

11月13日 月曜日

 

ついこの前秋らしくなったなぁと思っていたら突如10℃台に突き落とされて困惑している。土日のうちに衣替えを完全に完了させておいてよかった。なぜか分からないが服の量が膨大なので、一日で衣替えが終わるはずもないのである。

 

私が寒気の到来に伴い引っ張り出すやつらを紹介しよう。

・Ankerのヘッドホン

耳周りのクッションがでかくてふかふかであるため、夏はとてもじゃないが付けられない。暑い。冬は耳当て代わりにもなるので快適。

・スキーウェアみたいな質感のレッグウォーマー

ここ数年愛用している末端冷え性の救世主。この前商品ページを検索してみたら購入時より1000円ほど値上がりしていた。需要が上がっているらしい。

・腹巻きパンツ

見た目はすこぶるダサいがどうせ見えないので気にしない。腹と足を温めれば大体なんとかなる。

以上3点を装着して出勤した。私にしてはそこそこの重装備である。

さらに寒くなったらジャンパーやらニット帽やら冬用スニーカーやらを追加していくが、さすがにそこまでではなかった。

 

昨日ジムで背中の筋肉をいじめられたせいか、起き抜けから即背中が痛かった。近頃筋トレをサボっていたので余計に響いたのかもしれない。

私の誕生日は12月16日である。その翌週はクリスマスである。その翌週はお正月である。

志すのが遅すぎるかもしれないが、この怒涛のイベントシーズンに差し掛かるまでに多少燃えやすい体にしておきたいな…という気持ちがある。なぜって太るからだ。ほぼ確実に太る。言うまでもなく寒さにより持病の怠惰に拍車がかかり、そこにケーキやらおせちやらを投入してしまうからである。

もはや体重の増加を避けて通るのは早々に諦めているので、その前にやや減らして振り幅を抑えようという算段だ。頑張ります。

 

そういえば、先日歯の矯正が終わった。正しく言えば「歯を動かす」ことが終わった。これからは動かすことなく、保定期間に入るのであろう。

個人的には仕上がりに満足している。ちょっとワイの顔マシになったのでは?と思う。しかし、他の人から見たら全く違いが分からないと思う。そのぐらい微々たる変化だ。実際に自分で自分の昔の写真などを見ても、歯がどうこうというより「肌が汚い」とか「今よりも太っている」とか「今よりも姿勢が悪い」とか「化粧が下手」の方に目が行ってしまうぐらいには微々たる変化である。もしかしたらただ単に自己肯定感が上がっただけかもしれない。だが、それでも良い。前よりもちょっとマシになった、そう感じられただけで価値がある。

こういう「前よりマシになった」を積み重ねて老いていきたいものだなと思う。そう上手くはいかないのかもしれないが。

 

帰宅するなり猫がお出迎えしてくれた。どこから聞きつけているのか分からないが、ドアを開けたら大体玄関にいる。目的はご飯の催促である。そう分かっていても可愛い。

この猫も一体いつまで一緒にいてくれるだろうか。分かりきったことだが、猫の寿命は短い。生死を操ることは出来なくても、なるべく幸せに過ごしてほしいと心から思う。

 

明日も寒いだろうか。寒いとついつい寝坊をしがちなので、明日の分の服は今日のうちに選んでおこう。明日の分の化粧も今日のうちにしておければいいのに。それが出来たら私は毎日フルメイクで出かけられる。

寒さに文句を言っているようだが、寒い時にしか着られない服を着られるのは素直に嬉しい。存分に堪能していこうと思う。

 

ではね。皆さんもぬくぬくしといてください。

 

こんなに反抗心が旺盛なのに大人しそうと言われる

 

電車内の暖房にキレ散らかしている。あれは本当に必要なのだろうか。雪の積もるような地域なら必要かもしれない、しかし此処は福岡である。本日の最高気温は20℃である。

人は外出する時、外の気温に合わせて身支度を整える。その格好でそのまま暖房の中に入ることは想定していないのである。室内であれば上着を脱ぐなどすればいいが、混み合った電車の中だとそうもいかない。ぬくぬくのほかほかの服装で更なるぬくぬくかつほかほかの空間に入らざるを得なくなる。もう一度言う、これは本当に必要ですか?此処は福岡ですよ?雪、降ってませんよ?せめて設定温度を下げませんか?

そう思いながら電車に揺られ、降りた頃にはそこそこに汗が滲んでいた。そこに突如外気に晒されたものだから、平常時の倍ぐらい冷える。ほんとうに、やめろ。

 

かようなことで苛つくぐらいには気が短いことを自覚している。しかし、周囲からは「大人しい」だの「真面目」だの「物静か」だの言われることが多く、首を傾げている。

正直あまり快くはない。私は「大人しい」か「怖い」かだったら「怖い」と言われたい側の人間だからだ。他者を威圧したいのだ。ナメられとうないのだ。

しかし実際のところ全くそんなことはないらしく、割と頻繁に見知らぬ人に道を聞かれるし、割とおばちゃん方に〇〇ちゃ〜ん❤️と孫扱いをされたりする。別にいいっちゃいいのだが、不思議である。そんなに私は人畜無害のオーラを放っているのか…?こんなに性格がひねくれているのに…?

 

たまに考える。如何様にすれば威圧感が身につくのかと。

濃いめのメイクをしたらいいかもしれない。力強く弓なりの眉、漆黒のアイライン、血の赤のリップなどを施すような。

身長も足りないような気がする。物理的に伸ばすのは困難だが、ヒールの高い厚底の靴を履くことはできそうだ。

姿勢の悪さも陰キャ感を醸しているだろうから、姿勢を整えることも必要かもしれない。あとは立ち振る舞いだろうか。大体が常にぼーっとしているのでぼーっとしない……ぼーっとしないってどうするんだ……??別にぼーっとしたくてぼーっとしてるわけではないのだが……単に脳の中にloading…の記号がぐるぐるしているだけなのだが……

 

化粧も嫌いでは決してないが、休日にたんまりと時間をかけて顔を作るのが好きなのであって、毎日強い顔を作っていたら確で遅刻するな…現状ノーメイクでお仕事行ってるし……

基本ヒールの靴を履かないのも、歩くのが大好きだからだし……歩くことがストレス発散みたいな節があるから、ヒールなど履いていたら却って疲れてしまいますし……

姿勢の悪さは威圧感関係なく直した方がいいと思うので頑張りましょうね……

 

……威圧感、結構難易度高いな………???

 

そう、威圧感には手間と技術と忍耐がいるのだ。威圧感は一朝一夕にしてならず。日々きちんと化粧を施す手間や、ヒールに耐えうる筋肉や、姿勢を正すための筋肉を鍛えることを怠らない人こそが威圧感を手に入れられるのだ。日々の筋トレを隙あらばサボり、毎日遅刻ギリギリまで布団の中にいる人間に威圧感など手に入れられるわけがないのだ。すみませんでした。

なりたい姿になるためには努力が必要であるという至極真っ当極まりない正論にたどり着いてしまった。

 

しかし、上記の点は全部女性特有のそれのような気がしなくもない。化粧もヒールも姿勢も。

 

私が目指すべきはイケメンなのかもしれない。化粧を施さずとも着のみ着のままで出来上がっており、ヒールを履かずともタッパがあり、姿勢が悪くとも逆にそれが得体のしれなさを醸す系のイケメンなのかもしれない。大体イケメンはイケメンというだけで周囲を威圧するので。

 

 

 

イケメンに、なりたい ─────────。

 

 

 

〜完〜

 

雑記-水ってそこまで恐れなくてもいいのかもしれない

 

11月3日 金曜日

 

朝食を食べた後、食器を洗っていた。食器を洗う時私はゴム手袋を装着する。手が濡れる感触がなんとなく苦手で、かつ手肌が洗剤負けしたことが何度かあったからだ。各社のそれらをいろいろ試した結果、オカモトのマリーゴールドという名の商品に落ち着いている。今日もいざ洗うかと装着して、洗っていた。何枚か洗った頃、手袋の中が濡れていることに気づいた。目視で確認したわけではないが、恐らくどこかに穴が空いており、そこを伝って水が入ったのだろう。

違和感を無視して皿洗いを続ける手もなくはなかったが、水から守るために手袋をしているのに手が濡れているのは本末転倒のような気がした。手袋を脱ぎ、ゴミ箱に捨てる。替えの手袋もあるにはあった。あったが、何となく気が変わって、素手で皿洗いをしてみることにした。

手の上を泡や水が流れるたびに普段と違う感触にやや興奮を覚える。ゴム手袋をつけて皿を掴むよりも、素手で掴んだほうがよく滑るのだという発見をした。摩擦係数が少ないのだろう。皿を割らぬようにと普段使わない妙な力が入る。

福岡はまだ暖かいので水もそこまで冷たくなかった。案外できるものだな、と思った。そりゃできるだろとツッコミが入りそうだが、ずっと皿洗い=手袋をつけるもの、と思って作業をしていたため、手袋がないと皿洗いができないような気がしていたのだ。そんなことはないなと思った。

そもそもなぜ皿洗いの時にゴム手袋をつけるようになったのか、過去の記憶を手繰り寄せてみた。水に濡れる感覚が苦手だから。ではなぜ水に濡れる感覚が苦手なのか。そう考えて、ひとつ思い当たる節があった。かつて私の皮膚をひどく蝕んでいたアトピー性皮膚炎だ。

アトピー性皮膚炎は、皮膚炎というぐらいだから肌が荒れる。荒れたところは痒くなり、掻きむしってしまい、皮膚が破れる。至る所に傷口ができる。ここに水がよく滲みるのだった。水が入ると傷口があるだけでは感じないような鋭い痛みが走る。これが嫌だった。

荒れがひどい時は風呂に入ることすら億劫になった。滲みるからだ。放っておいたらそれはそれで膿が臭うので入らないわけにはいかないのだが、それでも痛いのは嫌だった。そりゃそうだとしか言いようがない。

多分この幼少期〜少女期の記憶が私の水に対する苦手意識に作用している。体が、手が、顔が濡れるのが嫌。だって痛いから。

今の私の皮膚は水に濡れても痛くない。痛みを理由に風呂を渋ることもない。それでも「濡れるのが嫌」という記憶は完全に消えることはなく、その記憶が今も私にゴム手袋を付けさせている。

 

ゴム手袋が無くても案外難なく洗えた。その事実は少しだけ、かつて苦手だったものを倒した時ような、かつてより成長している証のような、妙な優越感を覚えさせた。

でも、今度からはやっぱりゴム手袋をしようと思う。痛むことは無いが乾燥する。洗剤が根こそぎ手に必要な油分を奪っていってしまう。一通り皿を洗い終わったあと、すぐに私は手にハンドクリームを塗り込んだ。

 

きっと水に限らず、過分に恐れているだけで実際やってみたらそうでもないことってたくさんあるんだと思う。

今後生きていく上で少しずつでも倒していければいいな、と思った。