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ツイッターでまとまらないこと

雑記-丑三つ時を超えちゃった

1月6日 土曜日

 

つい癖で日記のような書き出しをしてしまったが、今これを書いているのは午前3時である。1月6日はまだ始まったばかりで、なんなら1月6日であるという意識も希薄だ。なので日記ではない。

 

私は日付が変わる頃には布団に入っていたはずだった。今も布団に入って横になっているが、不可解なことに脳がやけに冴えている。要は眠れなかったのだ。

こうなることは初めてではない。ただ、そうなる時は決まって夕食後の薬を飲み忘れていた。しかし今日(昨日?)は確かに薬を飲んだと記憶しており、首を傾げている。私の記憶が間違っているのか、ただ単に体がおかしいのか判別がつかない。

 

諦めてTVerでドラマでも見ようかと思ったが、冴える脳のわりに体が疲弊していた。どうせならしゃきっと元気であればいいものを。

で、ブログにやってきた。気長に長文でも書いていれば眠気がやってくるかもしれない。

 

そんなふとした思いつきであったが、見ると前回の更新から随分期間が開いていた。別に締切があるわけでもないので開いていたからって誰も困らないのだが、ほう、と思った。ここ10日ほど、私は文を書きたい衝動に駆られなかったらしい。

やはり労働がなかったせいだろうか。自分でも不思議だが、私は仕事をしている間が一番頭が回っている。仕事に対して回っているのではなく、明後日の方向に回っている。仕事中に空想に耽っている。我ながら真面目に働いてほしい。

 

この10日間、まあ分かりやすく年末年始だった。今年の正月は概ね寝正月であった。だからいま眠気が来ないのだろうか。

しかしながら、北東の方角から未曾有の大災害のニュースが飛び込んできたりして、やや心がざわついていたように思う。

こういう時、何を思えばいいのか分からなくて落ち着かない気持ちになる。労えばいいのだろうか。悲しめばいいのだろうか。自分が安全圏にいる以上どれをとっても嘘くさく感じる。かといって「私は平気でよかった」と思うのもどうにも性格が悪い。実際に今この瞬間も平気ではいられない人たちがいるのに。

多分「〇〇と思えばいい」などという都合のいい正解は存在しなくて、ただ現実を注視するしかないのだと思う。己の無力さや自然への畏怖を噛み締めて、改めてこの土地に生きているのだと兜の尾を締め直すしかないのだと思う。

 

話は変わるが、このお休みの間に引越しの準備などもしていた。千里の道も一歩から、手をつけないことには片付かない。

片付けをしていて、改めてものが多いな…と思う。ほぼほぼ自業自得としか言いようがないのだが。

どうにも衝動買いをしがちである。所得の範囲内であれば誰にも文句は言われないかもしれないが、一度は確かに欲したものに「これは要らないな」と思ってしまうことに一抹の寂しさがある。

人間の欲望なんて刹那的なものと言われればそれまでだが、できることなら持続していたい、手にした時のときめきをできるだけ忘れないでいたいと思ってしまう。夢物語かもしれない。

今年の目標は「衝動買いを控える」にしようかな…しかし衝動で買う時特有の快感ってあるよね。反省してないな?こやつ…

 

そろそろ眠気が降りてきてくれそうなのでこのあたりにしとこうと思う。まとまりのない文になってしまったが、書いてる人が脳内とっ散らかり人間なのでさもありなん。

 

明日(今日)は通院の予定があるので今からでもどうにか寝たいです…頼みます…おやすみ…( ˘ω˘ )