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ツイッターでまとまらないこと

雑記-コタツはあるけどソファーとベッドがない家

 

10月4日 水曜日

 

我が家にはソファーが無い。理由は単純で、置く場所が無いからだ。そりゃ何とか押し込めば置けないことはないのだろうが、押し込むと部屋が手狭になってしまう。ソファーが置かれることを想定していない間取りをしている。

ついでに言うとベッドもない。いや、あるにはある。祖父と祖母はそれぞれのベッドがある。私には無い。私は就寝時間になると都度押し入れから布団を出し、そこで寝ている。

別にソファーがないことにも自分用のベッドがないことにもさしたる不満は無いのだが、ドラマなどを見ているとこの2つは必ずと言っていいほど出てくる。ファミリーの住まいにも出てくるし、一人暮らしのお姉さんのお部屋にも出てくる。

フィクションではなく、リアルでもそんなに覇権的なのだろうか。ひと様のおうちに行ったことが限りなく少ないので参考にできるサンプルが少ない。私は人生のうちのほぼ全てをソファーとベッドが無い環境で過ごしており、そして別に不自由していない。それでも彼らが人々を魅了してやまないからこそ、存在が存続しているのだろう。今の時代、不要なものなどさっさと淘汰されてしまう。

ひと様のおうちに突撃となりの晩ごはんをするわけにもいかないので、あとでTwitterででもアンケートを取ってみようかしら、などと考える。ひとつ気になるのは、掃除は大変ではないのかしら。布団は洗えるけれど、マットレスを洗うのはなかなか大変そう。ソファーも然り。あと、猫の攻撃を受けたりはしないのだろうか。これは猫飼いしか該当しないが。

 

当たり前だが、自分以外の人生のことなどさっぱり分からない。多分私は人よりさらに分かっていない。ドラマは見るけれどあれはあくまでフィクションで、人の目を意識して作られたものに過ぎない。エロ漫画を読んでこんな女の子が実際にいるのか…!と思う馬鹿はいないだろう。話が逸れた。

人々の間に共通の感覚として横たわる常識みたいなものにほとほと疎い自覚があるものの、それをどうにかしようとしたところでどうにもならないだろうという半ば諦めのような気持ちがある。でも好奇心はある。ので人んちに行ってみたい。まずは優しい友達を用意するところから始めます。

 

今日は久しぶりに長袖に袖を通した。深い緑の薄手のカーディガン。前身頃に金色の華奢なボタンがあしらわれている。これはどこからやってきた服だろうか。祖母のものか、古着屋で買ったのか、親戚のおばさまから段ボールで届いたものか。たぶんお店では買っていない。

ここしばらく長袖の服が着られなかったので新鮮だった。薄手の長袖、もとい厚手の半袖は今しか着られない。季節に置いてけぼりにされる前に滑り込ませるように着るしかない。

 

そこまで積極的に買ってはいないはずなのだが、そこそこの量の服がある。ミニマリストと対極の位置に生存している。先述したように若かりし日の祖母の服、服道楽のおばの服、古着屋で購入した服などが混在しているのだ。定価で買ったのはほんの少しである。下着とか。

この中の2割ほどには「もう少し身体を絞れたらもっと格好良く着られる服」という世にも悲しい名前がついている。実際そうなので悲しい。余計な被服代を排出しないためにもさっさとダイエットを遂行した方が己のためなので、つらくならない程度の筋トレなどをしている。気休めかもしれない。

 

やりたいことがありすぎて、幸せではあるものの頭と身体がついてこれていないなと感じる。一日が48時間、いや36時間でもいいからもう少し長ければいいのに。そしてやりたいと思った時にすぐに動ける敏捷さがあればいいのに。

己の自堕落さを嘆いても仕方がないことは分かっているが、嘆かずにはいられない。今こそどこに行くにも快適な気候なのに。

 

先日の皮膚科に行ったためにネイルを塗れていなかった。明日からまた再開しようと思う。気合と呪いのようなものだ。

 

ではまたね。明日はかなり涼しいらしい。何を着ようかな。