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ツイッターでまとまらないこと

雑記-病欠中に無闇にエンジョイするのも何か違う気がしませんか?他

 

8月31日 木曜日

 

仕事を休んだ。喉が痛かったからだ。めちゃくちゃ痛いというわけではなかったが、つい数日前に同居の祖父がコロナ陽性の診断を受けており、これはもう私もアレの可能性がデカすぎるじゃん…となり、職場に休みまーす検査してきまーすと連絡をした。

 

しかし先述したようにめちゃくちゃ痛いわけではない。喉が痛い以外は体調もそこそこで、食欲もあり、熱もない。やや罪悪感がある。これしきで仕事を休んでいいのか……?という気持ちになる。でもまあ私の仕事ってほぼ会話だし…喉を酷使するのはちょっと危ういし…そんな大した仕事じゃないし…と、言い訳のようなものを思い浮かべつつ検査を受けに行った。

 

以前検査を受けた時は唾液を採るやつだったと思うが、今回は鼻に綿棒を突っ込むやつだった。唾液よりは手っ取り早くてマシだなと思う。だが痛い。元々空いてる空間に棒を入れるだけであるのに、なぜこうも痛いのか不思議だ。痛みは防御反応だと聞いたことがある。痛みを感じないと危険の度合いが自覚できない。自覚できないと対処もできない。「なんか異物入ってきた!痛えよ!危険だよ!痛くないけど!」となってるのかもしれない。

 

結果は陰性だった。非常に不謹慎だが、陰性なのかよ…と思った。なんだろうか、この気持ちは。陽性と言われたら言われたで嫌なのは確かだが、陰性と言われたらそれはそれで虚しいような、拍子抜けなような感覚に陥る。フラグ立ってたじゃん?回収して?みたいな気持ちになる。ここはフィクションではない。現実にフラグは存在しない。

 

痛み止めを処方され、帰宅し、さあどうしようか…と考え、とりあえず布団を広げた。病欠の際、最もそれに相応しい行為はきっと睡眠だ。風邪引いたから寝てました、これ以上にどこからもツッコミをくらわない行動は無い。

なので寝ようと思った。思ったのだが、ひとつ問題があった。私は今朝、ついいつもの癖でコンサータを飲んでいた。この薬はADHDの治療薬として存在するもので、私自身はADHDではないよ〜と言われているものの、日中の眠気を覚まし活動的にするために服用している。効用も副作用も人それぞれなので、詳しくは専門家に相談していただきたい。

そう、これは眠気を覚ますものなのだ。寝転がったところで、全く寝られないのだ。眠気というものを一切合切取り除く薬なのだ。ここで私は「寝る」という選択肢を諦めた。

それでも寝転がることはできるので、しばらくごろごろと転がっていた。転がっていたら猫が来た。肩を下にして枕に頭を乗せている私の頭部付近に、なにやらものすごい圧が来た。猫である。何じゃいと頭を上げた次の瞬間、猫は枕を占領した。ものすごいど真ん中に居座った。

ここ最近、猫はこの枕をいたく気に入っている。元はと言えば私が私自身の睡眠改善のために購入したものだ。実際以前使っていたものよりも眠りが深くなり、肩こりも軽減されたように感じている。そしてなぜか猫もその枕を気に入ったらしい。いや本当になぜだ。あなたに肩こりは存在しないだろう。知らんけど。

猫はいわゆる低反発の寝具やらクッションやらが嫌いだ。我が家の祖母のベッドの上には、名前は忘れたがアスリートも使ってます!みたいに銘打ったマットレスがあるのだが、それの上に落とすと一目散に逃げる。どうもふにっと沈むような感触が嫌いらしい。

その理論でいくとこの枕は確かに高反発だ。ほぼ沈まないし、柔らかくない。そしてなぜか猫のサイズにもジャストフィット。理屈的には猫のベッドと化したのは必然かもしれない。猫、かわいい。かわいいね。でもどいてくれ…

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薬に睡魔を奪われ、猫に枕を奪われたので寝ることを諦めた。幸いそこまで体がだるいわけではない。喉がイガつくだけである。喋らなければなんてことはない。

アイロン台の上に衣類が溜まっていたのでアイロンがけをした。なぜ衣服ってこうも溜まるんだろう。

アイロンがけをしたいくつかを自室に運び、畳み、タンスに仕舞い込む。私のタンスはかなりパンパンである。力ずくで押し込むという強い意志がないと全てを仕舞うことができない。

ついでに鞄の類も整頓しようと思い立った。率直に言って雪崩を起こしていたので、山を分解してお店広げするところから始めた。山は地層と化しており、頭頂部はよく使う鞄だが、ふもとのあたりは全く使わない鞄である。高校生の時に使っていた、とうに捨てたと思っていた鞄が出てきてびびる。手持ちの荷物を把握していない。

今後も使うやつと使わないやつに仕分けていたら、使わないの方に7つもブツがあった。意外である。記憶にない。こわい。

壊れていたりしたらさすがの私でも捨てるので、普通に使えるものではあるのだが、改めて見ると自分に似合わないな…というものだ。これはどうしようかな。ひとつは祖母に譲れそうだが、それ以外は若者向けのデザインである。

まあいずれメルカリにでも出すだろうとは思うのだが、やや面倒くさい。ハイブランドのものは存在しないので強気な値段では売れないし、かさがあるから送料もかかるだろう。こういう時、使ってくれそうな知人にタダで譲れたらいいのにな…と思う。なおそのような知人は存在しないという現実がある。悲しい。

あ、でも実際何度か譲ったこともある。Twitterのフォロワーに。てか最近も譲った。髪飾りを。

まあでもそれは何というか、そこそこの年数を重ねたある程度の信頼関係があるからできることであるし、そもそも送りつける時点で住所も本名もバレている仲であるので、そんなに選択肢があるわけではない。いる!と言ってくれる子が他にいるのであれば私はやぶさかではないが、恐らくそんな子は存在しない。はい。

だからまあ、うだうだと管を巻いたところでメルカリに出すか古着屋に持ち込むぐらいしか選択肢はないのだろう。分かってはいる。そもそも「物を譲る知人」という括りにTwitterのフォロワーが入っているところに物凄いネト充並感を感じる。実際そうなんだけどさ。

 

迫り来る現実を観念しつつTVerでドラマを観ていた。これは病欠中の社会人の行動として許されるのだろうか?という気持ちは正直あった。病欠中のドラマ鑑賞、やや後ろめたい気持ちになる。別に悪いことをしてるわけではないのだが…

病欠中の行動として完全にアウトのラインってどこだろうか。病院に行く、寝る、これは模範的な回答。家でだらだらする、これも良いと思う。ドラマ鑑賞も許されたい。やはり外に遊びに出たらアウトだろうか。一応病欠なわけだし。

なんだか昔を思い出す。同世代みんなが学校に行っている間、家でひたすら2ちゃんまとめを眺めていた日々だ。あの時も罪悪感というか、後ろめたさが常にあった。だって家にいる分には健康なんだもの。外に出たらダメなだけで。

決して普遍的ではない妙なノスタルジーを覚える。あの時の私とは別人のようだし、多くの苦しみを忘れたが、確かに過去と現在が繋がっているということへの証左のように感じる。

 

話が壮大になったが、要は今日めちゃくちゃだらだらしていた。熱も出ていないし、明日は出勤できそうに思う。もう少し喉の違和感が軽くなることを願う。

久しぶりに日記を書いたと思ったらやけに長い文章を書いてしまった。暇な時間は思考を助長する。

 

ちなみに猫は今も枕の上にいる。優に3時間はそこで寝ている。君が良いならいいです。私は全く寝れませんでしたが。

 

今日は観ているドラマの放送もないのでさっさか寝るかな〜。結局睡眠しか勝たんのです。筋肉と睡眠が全てを解決します。元気があればなんでもできるはガチです。

 

ではまたね。読者諸兄も風邪には気をつけよう!

 

椎名林檎 - 都合のいい身体 - YouTube