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ツイッターでまとまらないこと

雑記。草花、他

自宅の近くに芙蓉の花が咲いている。蚊すらへばるこの酷暑の中、どこ吹く風と言わんばかりに咲いている。薄紅色の大ぶりな、豪華な花である。花の形だけみるとハイビスカスやオクラに似ている。葵の仲間だろうか。古来より美人の例えに用いられるこの花について、私はそこまで詳しくない。美しいが、あまり美人という雰囲気ではないように思う。美人がこの酷暑の中平気な顔で咲いていていいのか。逞しくて頑丈な美人かもしれない。それはそれで新たなキャラクターが生まれそうだが…

 

草花について詳しいわけではないが、人並みの愛着はある。

幼い頃、今は亡き曽祖母が生きていた頃、曽祖母の家にはそこそこ広い庭があった。曽祖母の趣味は庭いじりだった。当時こそ何の感慨も覚えなかったが、今思えばなかなか贅沢な環境だったように思う。庭には四季折々のいろんな花が咲いていた。沈丁花金木犀、蕃茉莉、躑躅山茶花、紫木蓮百日紅。まだまだある。図らずも難読漢字テストみたいになってしまっているが放っておく。気になる方はコピペのちおググりください。花の画像も出てくるはずです。

 

ここだけ抜き出して書くと曽祖母が花を愛する聖人のように見えてしまいそうなので、猫を嫌い、多大なる劣等感を湛え、気性が荒く、嫌味を散弾銃のように飛ばしまくる人であったことを付け加えておこう。そんな人でも花を愛したりするのだ、と私は子供ながらに不思議に思っていた。そしてその素質は3倍希釈程度に薄められた上で、しっかり実子である祖父へと継承されている。やめてくれ。

 

話が逸れた。そんな環境だったので、花が珍しいものではなかった。花は買うものではなく、見に行くものでもなく、在るものだった。

そして今は無いからこそ、愛着を覚えるのかもしれない。どうしたって我儘で嫌だな、と思う。

 

木を見に行きたい。青々と茂った葉をこれでもかと携えた、でかい木を見に行きたい。私はこんな時、いつもであれば太宰府天満宮に行くのだが、何せ時は酷暑である。当たり前だがでかい木は屋外にしか無いので、暑い。さすがに向かう気になれない。私からでかい木を取り上げる酷暑を許すな。

 

『らんまん』の万太郎ほどではないにせよ、植物は良いものだな、と思う。人間とこんなに構造が違うのに、雄と雌があり、繁殖し、生を受け死ぬのだと思うと不思議だ。命というより営みのようだ、と思うけど、人間だってごちゃごちゃと理屈をつけているだけで、本当はそうなのかもしれない。そんなことを思う。

 

話めちゃくちゃ変わりますが『らんまん』ってとんでもなく良い。そう思いませんか?(マイクを向けて)

私は朝のリアタイは難しいので、出社後の始業前にこそこそと観ています。全てにおいて隙がなさすぎて、アホの視聴者である私は何も言えない。言及できない。だって完成されているから。

隙があってツッコミ甲斐のある作品のこともそれはそれとして愛しているけど、ただ圧倒される快感というのも確実にあって、それを満たしてくれる作品ってなかなか無い。ありがたい。

 

ちょろっとだけ書こうと思ったのになんだかんだ長文になってしまい小首を傾げている。明日はお休みなので、少しでもやりたいことができると良い。ぼんやりとしているとあまりにも一日が短くて困惑する。私は活動もしたいしぼんやりもしたい。一日が36時間あれば良い。誰よりも早く体力が尽きそうだな。だめじゃん。

 

ではね👋