のらりくらりくるりゆるり

ツイッターでまとまらないこと

散歩

散歩が好きである。

というか、歩くことが好きである。

 

運動は驚くほど苦手だが、散歩だけは強制されなくとも率先して行う。

退勤後に天候の機嫌と体調と時間の余裕さえ整えば、2駅ほど歩いて帰ったりする。

休日でもある程度目的地の目星をつけた後、ただぶらぶらと歩くことがある。気づいたら4時間ぐらい歩いていて、翌日に響きまくることも多々ある。そのことを出不精の友人に話したらドン引きされた。

 

高校生の頃だっただろうか。

完全なる引きこもりから近場であれば頑張れるタイプの引きこもりに成長を遂げていた私は、1日に2時間ほど、ただ歩いていた。

緊張を覚えた時に逃げ込めるトイレの場所を頭に入れておけば、その周辺を伝って歩くことはまあまあ楽しかった。

耳に音楽を流し込み、動きやすい服と靴を着用し、ただ歩いていた。夏場でも冷える足も歩けばさすがに温かくなるし、身体に血が巡り、脳に酸素が巡り、でたらめで突飛な脳内が少し整頓されていく。その感覚が心地よかった。

右足と左足を交互に出すだけで視界が変わり、知らない道が知っている道に変わっていくのが楽しかった。大げさなようだが、当時の私にとってそれは世界であり、社会だった。日本から出て海外に行った人が「世界が広がった」と言うが如く、ずっと家にいた私にとっては近所の散歩が世界を広げるものだった。かなり規模が小さいが。

 

その時の感覚が、就職して比較的活動するようになった今でもなお続いている気がする。

民家のお庭に蝋梅が咲いていたり、前にあった民家がなくなっていたり、またそこに新たな綺麗な建物が建っていたり、そういうのを見るのが好きだ。人に限らず、犬も猫も植物でさえも生存し、ひしめき合い、蠢いている。同じ場所でも季節いや、その日その時間によって表情が変わる。そういうものを眺めながら歩くのが好きだ。

 

今はそこそこ行動範囲が広がり、旅行なども行けるようになったので、今までよりもあちこちを歩いてみたいなと思う。昔よりマシとはいえ、私の世界はまだまだ狭い。せっかくなのでさらに開拓していきたいと思う。いつくたばるか分からないので、できるうちに視野を広げておきたい。

 

ひとつ歩くことに関する明確な野望がある。それは、遊園地の中をただ歩くことだ。

 

世界だの社会だの言っていたのにいきなり規模が縮んだなと思われるかもしれないが、まあ聞いてほしい。散歩はひとりでも余裕である。しかし遊園地にひとりは少々ハードルが高くないか?そして私が最後に遊園地に行ったのは小学生の頃大人に連れてこられたきりである。ほぼ初めてだと思って欲しい。さらにハードルが高くないですか?(知らんがな)

 

つまり「遊園地の中をただ歩く」というのは、

・私のわがままに付き合ってくれる人間で

・さらに「遊園地に来たのにアトラクション乗らんとかありえんw」とならない程度に価値観が合致or理解していて

・さらに無駄に健脚である私と同等程度の体力があって

・時間の都合が合わせられて

・歩いている間気まずくならない

そういう都合のいい人間を求めているわけです。分かりますか?この一文に湛えられた傲慢さが。

 

今のところ上記に合致する人間が母しかいないんですよ。また母かよって感じなんですけど。でも母とこれを達成してしまったらなんかダメな気がするんですよ。マザコンだけどマザコンであることに危機感を覚えてるタイプのマザコンなんですよ私は。

 

だからもうそこら辺をクリアしてくれる人間を確保した上で遊園地で散歩できたら、近所の散歩とか目じゃないぐらいの世界であり社会の開拓なんですよ。わかります?(わかりません)

 

散歩の話だったのに最終「友達ほしい!」の話になっててウケますね。

でも本当に密かかつ明確な野望なのね。友達ってどうやって作るのかな。もうTwitter上でナンパするのが手っ取り早い気がしてきた。早まらないでください。でも人間との関わりが希薄すぎてそれぐらいしか手段が思いつきません、助けてください。

 

 

白井と散歩、してくれないか ────?

 

 

(イケボ)